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放送日 平成23年5月28日(mp3形式音声ファイルはこちら→) 
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 放送内容は、著作権の保護を受けますので、個人でお聞きになる以外のご利用は出来ません。
ちょびっと
タイトル: 人とのつながりはしんどいけど大切や~まちの縁側、まちの居場所「よっとーくりゃす」 の挑戦
概要: つながるKYOTOプロジェクト~脱”無縁社会へ~のプロジェクトの一つである、まちの縁側「よっとーくりゃす」 の代表 増田隆子氏をお招きし、お話を聞かせていただきました。
出演者:
増:増田 隆子氏  まちの縁側「よっとーくりゃす」代表
小:小出 和彰氏 京都大学大学院 農学研究科森林科学専攻
絹:絹川 雅則   (公成建設株式会社)
ちょびっと
 
 
   放送内容については、無断使用を禁止させていただきます。この件についてのご連絡はこちらまで。
 絹:  “まちづくり”チョビット推進室!
Give me thirty minutes,I will show you the frontline of “まちづくり” and “まちづくり” people in KYOTO.
  ************************************************************************
絹: 皆様こんにちは。まちづくりチョビット推進室の時間がやってまいりました。
この番組は地元京都の建設屋の目から見た京都の元気なまちづくりびとの紹介や、その活動の最前線をご紹介しております。いつものように番組のお相手は当まちづくりチョビット推進室 絹川がお送りいたします。

さて、本日の番組タイトルですが、「人とのつながりはしんどいけど大切や~まちの縁側、まちの居場所“よっとーくりゃす”の挑戦」と題してお送りいたします。
本日のゲストをご紹介させていただきます。
「まちの縁側」「まちの居場所」という呼び方が正しいのかわかりませんが、ご本人は「居場所」と呼んでおられます。
“居場所 よっとーくりゃす”、この「よっとーくりゃす」は「寄ってきてね」という感じの言葉です。
“よっとーくりゃす”を運営されているのが、今日のゲストの増田隆子さんです。
よろしくお願いします。
増: よろしくお願いします。 
絹: そして今日はアシスタントとしてニューフェイスが来ています。
若い方です。小出和彰さん。
京都大学大学院農学研究科のM2、コミュニティFMラジオが好きだということで、手伝って頂くことになりました。
小出さん、一言。 
小: どうも、こんにちは。
はじめまして、小出です。
今日はおじゃましています。
よろしくお願いします。
絹: はい、この三人で今日はお送りします。

第一章「地域を愛するからの出発」
 ●私が幼い頃、それは楽しい地域でした
絹: それでは増田さん、始めましょう。
第一章、地域を愛するからの出発、お願いします。
増: いいタイトルですね(笑)。
今住んでおります所は、実は私の実家でして、もう子どもの頃から住んでおります。
結婚してから7年程は出たのですが、その後また親の介護で帰ってきました。
その7年の間というわけではないのですが、やはり徐々に地域が変わっておりました
。私の幼少の頃は、非常に楽しい地域で、そのたまり場が私の家でした。
そこに今、私が住んでいるわけですが・・・・
絹: ええと、増田さんの御自宅ですが、僕、何度かおじゃましておりますが、南区の西九条ですね。
増: はい、そうです。
絹: 京都の人やったら、誰でも知ってはるようなもんですけど、増田さんが御幼少のころからおられる場所がどんなとこやっていうのを、ちょっと聞いてはる人に説明していただけますか。
増: 下町ですね。
東寺さんのちょっと下(しも)にありまして、密集地なんですけれども、気さくな人がたくさんいはって、その時は子供がまだたくさんいましたけれども、私はそこで生まれました。
だけども途中で、小学校二年の時に無理やり転校させられまして、私学へ行ったんです。
その小学校一年半の間なんですけれども、非常に学校も楽しくて、毎日学校が終わっても、『はよ行きたいな、はよ行きたいな』と楽しみにしていたのと、友達もたくさんいて、ボーイフレンドもいたんです。
だから別れるのが非常に悲しくて、送別会の時は行かなかったんですね。
二年の中頃から私学へ行きましたけれども、地域の友達関係がだんだん薄れてきまして。
絹: そうですね、私学へ行くと、地域の学校と違って、ちょっと遠い目の所から来はりますしね。
増: そうですね、京都全体から集まってきはりますけど。
絹: 僕も実はそうだったんですよ。
小学校一年の時だけ中立校だったんですよ。
それから(当時は学芸大附属と言っていましたが)、紫野の所に行っていました。
なんか似たような・・・。 
増: ああ、附属ね、そうですね。
絹: リスナーの皆さんにちょっとご報告ですけど、女性の歳を言ってはいけないのかもしれませんが・・・えっと昨日でしたっけ? 
増: 昨日です。
 絹: 「私、65歳になったんよ」て、言うてはりました(笑)。
小: おめでとうございます。 
絹: という妙齢の御婦人でございます。
増: あまり「ありがとうございます」言うの、嫌やけれども(笑)。
絹: 増田さんのお宅は、近鉄の東寺の駅から歩いて4分くらい・・・。 
増: そうですね、もうちょっとですね。 
絹: マイナーな映画館ですが、南会館とか、弘法さんの縁日がようあるとこやと。 
増: そうですね、二十一日ですね。

 ●異世代の交流と子どもを大切にする文化
絹: そういう所にお住まいであります。
そこで、「地域を愛するからの出発」ですけれども、御幼少からそういう「地域、学校大好き」という所でありました。
さて、その次はどうでしょうか。
増: その次はですね、だんだん地域の人たち同士の関係が薄れてきましてね。
そう言っても、やっぱり色んな人たちの関係が昔からありまして、隣りのおばちゃんとか、向かいのおっちゃんとか、色んな友達もいらっしゃいまして、そこで青春も送ったわけですけれども・・・
ちょっと飛ぶんですが、二十代になりまして、私、子ども会の色んな指導員をしていたんです。
と言うのは、大学生も一緒だったんですが、ユニセフかな、そういう運動が活発になっている時に、地域の子ども会とか、そういった活動も含めて、地域の子どもと一緒に活動をやっていました。
絹: 二十代の時に。
増: はい、独身の時です。
絹: しゃれた言葉で言いますと、今で言うYMCAのプレイリーダーとか、キャンプリーダーとか、あんな感じですか?
増: そうですね。そういう感じです。
結婚して外へ出たんですけど、幼少の頃の楽しい事というのは、異世代が交流することなんですね。
大人が子どもに対してきちんと接していると。
例えば夏休みが地域の最大イベントなんですが、男の子はソフトボール大会に向けて、朝晩と練習するんです。
そして地域のソフトボール大会で優勝していました。
女の子はというと、盆の時に踊りを発表するんです。創作踊りです。
その指導をしていたのが、うちの姉だったんです。
それでたまり場になっていまして・・・
絹: たまり場になっていたのが、ご実家?
増: そうですね。それで大イベントとして、公園に舞台を設置して、そのために夏休みはそれに費やすというようなことで。
その衣装も含めて地域の方が縫って下さったり、色んな援助を、色んな方からしていただきまして、そういう異世代の交流と子どもを大切にするという地域ですね。
そこが非常に、大きくなっても思い出として残っていまして、「愛する」というか、地域を意識するきっかけになりました。
絹: そういう異世代の交流だとか、夏の一大イベントとか、にぎやかな地域やったんですね。
増: そうです。

 ●地域が変わった・・・
絹: そこからご結婚されて、戻って来られるまで、時間が飛ぶんですけど、帰って来られて「ちょっと地域が変わったな」と、お感じになったんですか。
増: はい、どんどんやはり高齢化になりまして、若い人たちが地域から出て行ったんです。
でも、まだお年寄りとか、地元の方々が住んでおられたんですけど、ただ行き来がなくなりましたね。
集まる場所とね。
だから例えば地域で歩いていますと、誰かにぶち当たって立ち話をするといった風景が見られなくなったんです。
絹: なんかおばちゃんとかおっちゃんが、電柱のそばで、ぼそぼそと井戸端会議いうんですか・・・そう言われてみれば、この頃少ないですね。
増: 皆さん忙しいんです。
絹: 電話をかけても、「お忙しいところ、すみません」て、言ってしまいますものね。
増: ですから「西九条村」というふうに、皆さんこの頃言われています。
ものすごい静かになった。
絹: さびれた感じですか。
増: そうです。ほんとにそんな感じ。
空き家も増えてきましたので。
絹: 京都市の方が「京都市内に空き家が何万戸あるか知ってるか」と言ってはりましたね。
11万戸だそうです。
それ聞いてぎょっとしましたけど、やっぱり西九条も南区も増えているんですねえ。
増: はい。

 ●始まりは、絵手紙教室
絹: さて、そういう状況を目にされて、肌で感じられて、増田隆子さんはごそごそっと動きださはりました。
その動き出さはった頃に、あるいはそこから何年か経って、僕お会いすることになるんですね、確か。
増: そうですね。
大分時間が経っているんですが、私はその頃介護に明け暮れていまして。
絹: ああ、母上の。
増: 母だけではなく、姑もですね。
それでそういった余裕がないと言いますか、やりたいと思いながらも、実際にはできなかったんですが、あるきっかけがあったんです。
姑がいた時に家でずっと引きこもっていまして、なかなか近所の方とお話できない、そういう機会もないということで、私の姉のお友達が近所にいらっしゃいまして、その方にお願いして、ボランティアで、絵手紙教室を、うちの家で始めたんです。
五人で始めまして、そこから他の方も来て頂いて、それはずっと続けていたんです。
絹: それはお姑さんがいはるときからですね。
お姑さんが外へ出て行かれへんようになって、寂しいから、それこそ「よっとーくりゃす」という感じで、絵手紙教室を始めはった。
増: はい。
絹: なるほど、それをやってはった場所が、今、居場所“よっとーくりゃす”として、僕が何度か寄せていただいている、お玄関から入った所のサロンみたいな、あの場所なんですね。

 ●地域のステーションとしてー生協の個人引き取りステーション
増: そうです。
その場所は姑の部屋でして、七年前かな、亡くなりまして、そこを改築して、土間にしまして、皆さんが下駄ばきで入れるように改築したのが、二年前。
絹: そうですね。
そのあたりから僕、出没しているんです。
昔は畳の部屋やった姑さんのお部屋を、靴履いたまま玄関から「こんにちは」言うて入れるようにして、ミニキッチンがついていて、テーブルが置いてあって、確か生協の個人引き取りステーションとしても使える・・・
それから増田さんとこがすごいのは、定期的なバザーもそこでやったはると。
増: はい。
絹: そういう地域の、それこそサロンというか、居場所というか、ステーションというか、そんな風になってきたのは、何年前ですか?
その二年前?もっと前?
増: バザーとかを本格的にやっているのは二年くらい前なんですが、個人引き取りは、もう八年、九年やってます。
絹: はあ、その個人引き取り、今は三十人言うてはりましたっけ?
それが人と人とを繋ぐと言うか、“よっとーくりゃす”になる伏線と言うか、すごく大切なことだったんですね。
増: そうです。
もう介護に疲れて、「人と会うのもしゃべるのも嫌や」というところまで、ぼろぼろになっていました。
その辺から「これはあかん」というので、人と人との関わりを考えた時に、生協をずっとやっていたので、それを元に回復しようということで、始めました。
だからそこが本当に原点になっているんです。

 ●福祉として取り組む
絹: リスナーの皆さんに、ちょっと補足で説明しますけど、増田さんとこがすごいなと思うのは、個人引き取りステーションという、生協のお世話役みたいなことをしはることで、地域の人も御高齢になって、「申し込み書とか、注文書が書けへん。字が細かくて見えへん」というような人のお手伝いとかもしたげるようになったということなんです。
増: はい、最初は私の関係で、人と人との関係で考えていたんですが、もう途中から「これは福祉の取組や」と。
だから「お年寄りに」という今、絹川さんが言われたようなことは、一例であって、もう殆どがそうです。
例えば子どもが取りに来るとか、ちょっと目の不自由な方と一緒に書くとか、商品をちょっと預かっておくとか。
絹: 取りにこれへんから預かっておくわとか、この間教えてもらったのは、学校に行くのがかなんとか、引きこもり加減のお子さんが取りに来て下さるとか。
増: それはスタッフとして手伝いに来てくれてまして・・・病気のおにいちゃんがいはって、その人は勤められないから、スタッフとして一緒にやっています。
絹: “よっとーくりゃす”のスタッフとして?
増: “よっとーくりゃす”ではなくて、個人引き取りですね。

 ●バザーは、とっても人気なんです
絹: さらにバザー。
この頃人気のバザーについて、ちょっとコメント下さい。
増: そうなんです(笑)。人気なんです。
実は産廃業者の方がうちの夫とずっとお友達で、二年前に“よっとーくりゃす”を立ち上げた時に、お世話になった業者さんと、竣工パーティみたいなのをやったんです。
その時の話で、この頃、産廃業者の方が、マンギョンボン号の入港がダメになったのでと・・・
絹: 北朝鮮の貨客船ですね。
増: そこに産廃の使える物を持って行っておられたんです。
絹: 産業廃棄物の中でもまだ使える物を、マンギョンボン号に運んで、リサイクルみたいなことをしたはった人が、持っていき先がなくなったと。
それを増田さんとこでサロンがあるから、「ここでバザーをしたら」と。
それとも「さして」と言わはったんですか。「ただで持ってこい」と言わはったんですか(笑)。
増: それは運営費とかね(笑)。
これは次のテーマにもなるんですが、死んでから何もなくなったではどうしようもないと思ったわけです。 

第二章「私が死んでも・・・」
 ●若い人へのバトンタッチ
絹: そしたら今から第二章ということで、「私が死んでも…」。
ハイ、第二章スタートです。
増: それで、なんとか経済的な基盤をつくりたいということと、人の関係を若い人にバトンタッチしたいと・・・。
絹: 経済的な基盤、バトンタッチと言いますのは、居場所・サロン“よっとーくりゃす”の引き継ぎ、バトンと、そういう意味ですね。
増: そうです。だからこの二本の柱をやっぱり中心にやっていかんとあかんということで、意識しながら今、何かかにやとやっているんです。
バザーについては、非常に安くて、素人ですので、利益中心ではなしに、皆さんに寄って欲しいとやっています。
生協の方だけやなしに、地域の方が出入りするようになればと。
外のガレージでやっているんですが、“よっとーくりゃす”のサロンの中は無料の喫茶をやっているんです。
バザーと同じ日にね。
絹: はい、何度かコーヒーを飲ませていただきました。
増: それで売上はその運営に回しているんですが、非常に好評でして、別に宣伝とかはやってないんですが、口づてに100人、150人と・・・。
絹: いわゆる口コミですね。
例えばこないだ見たら、本棚のまだまだ使えそうなやつとか、カラーボックスとかを安うで出してはるんですね。
増: そうです。

 ●取組のなかで、人がうごく
絹: もともと捨てる物を、そういう形でリサイクルして、安くで、欲しい人にお譲りするというバザー。
近所の人が初めはお客さんで来はって、そのうちスタッフとして「手伝わして」言うて、奥さん連中が集まってきてはるそうですね。
増: こちらの方から声をかけた方が、今いらっしゃるんですけど、この頃は「手伝ってもいいよ」とよく声を掛けられます。
それと自分とこの家で「余った物を役に立てて下さい」といった話もよく来ます。
絹: どんどん物が集まってくるんですね。
あのお、リスナーの皆さん、不思議なんですよ。
まちの縁側という場所、この番組でも何度か紹介していますけれども、まちの縁側というのは、不思議と人やモノや情報が、向こうから寄ってくることがありますね。
増: そうなんです。
絹: お金は来ませんけどね。
増: そうです(笑)。
それはそうなんですけど(笑)、一番私が言いたいのは、やっぱり人が動くんですよ。
バザーをやっているから、バザーだけのイベント的なものだけではなく、取組みの中で、その中の人が動くというのが、今、面白いなと思っています。
絹: で、南区の西九条に、増田さんのお宅がそういう居場所として動き出しているおかげで、また地域の人たちがまた活き活きと、この番組のタイトルではないですけど、「人とのつながりはしんどいけど、大切や」というのが、ほんまに増えてきたというか、そうおっしゃってましたよね。
増: そうです。
挨拶にしても、知らない同士の人と違って、バザーで会ったとか、生協の時に会ったとかで、増えますね。
それはやっぱりこの頃、目に見えてきましたね。
絹: 「私が死んでも・・・」の続きは、若いスタッフが増えたと、おっしゃってましたね。
何か女性の優秀な方が・・・。
増: そうです。
形としてどういうふうにして、バトンタッチするかということで、色々考えているんですが、うちの娘の交友関係が広くて、それと私もなにか若い人たちが寄ってくるんです。
それでそういう人たちをこれからのバトンタッチの中核になっていただけたらということで、今、色々声をかけながら作業をやっているところなんです。

 ●“よっとーくりゃす”は、NPO化します
絹: “よっとーくりゃす”は、そういう若い人たちの協力も得て、近々NPO化するという話も噂として聞いておりますが。
増: はい、今年に何とかやりたいと思っているのですが、事務局の方も何とか決まりそうで、若い人が五~六人中心になる予定です。
絹: 大したものですね。
若い人がいはるというのは、強いですものね。 
増: そうです。若くないとね、はい。
絹: バザーも月に何回でしたっけ。 
増: 二カ月に一回です。 
絹: そういうリサイクル品だとか、各家庭から出てくる不用品だけではなくて、野菜もありましたね。
増: そうなんです。それ言うの、忘れてました(笑)。
私のセカンドハウスが宮津の方にありまして、NPOがあって、そこの関係で加工品中心にやっています。
この間、生協に出入りしてはる舞鶴の方のNPOと提携しまして、来年は野菜などの朝市を独立させたいという思いで、今少しずつ一緒にバザー等をやっています。
絹: 皆さん、いかがですか?
まちの縁側、まちの居場所、サロン、色んな言い方がありますが、西九条の“よっとーくりゃす”の御当主の増田隆子さんの動き、すごく面白くて、ちょっと注目しています。 
でも「人とのつながりはしんどいけど、大切や」と言われるように、増田さんから以前電話がかかってきた時に「もう、しんどいわぁ」とおっしゃいました。
増: (笑)

 ●グループリビングも考えています
絹: でもその後、バザーというようなことを編み出されたり、こういう活動はどうしてもしんどくて、往々に一人の方の肩にかかってしまったりするんですけど、きちんとアルバイトみたいな形で、地域の人に少し報酬を出して「バザー手伝って」ということをされたり、それから次の代へ繋ぐための若いスタッフと連携を取ろうという動きは、多分注目に値する動きだと思います。
さらに増田さんの企ては進化をいたしまして、このサロン“よっとーくりゃす”が、グループリビングという形で、次は血縁のない高齢者が数名で一緒に住みながら、でもサロンもやるという形へ、次なる段階へステップアップしようというところまで来ております。
またこのことについては、次回、またその次に企画しようと思っております。

 ●“とねりこの家”で落語会があります!
絹: ということで、そろそろ終わりの時間になってしまいました。
最後に告知をさせていただきます。
5月の29日の日曜日、同じくまちの縁側の先輩の“とねりこの家”で、落語会があります。
13時30分から15時。確かワンコインだったと思います。
笑福亭鶴瓶さんのお弟子さんが何人か来はります。
“とねりこの家”は、上京区です。また調べて下さい。

それでは時間です。
この番組は、心を建てる公成建設の協力と、京都府地域力再生プロジェクト、そして京都市景観まちづくりセンターの応援でお送りしました。増田さん、ありがとうございました。
増: どうもありがとうございました。
絹: 次なる進化に期待しております。失礼します。
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