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放送日 平成17年5月4日(mp3形式音声ファイルはこちら→)
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 放送内容は、著作権の保護を受けますので、個人でお聞きになる以外のご利用は出来ません。
タイトル: 『堀川水辺環境整備への助走(1991年から)』
テーマ: 1991年から始まった「堀川水辺環境整備構想」の紹介
出演者:
絹:絹川 雅則 (公成建設株式会社)
松:松岡 千鶴氏 (NPO法人京都コミュニティ放送 放送局次長)
今回のお話に関する記事をこちらにまとめました。
 放送内容については、無断使用を禁止させていただきます。この件についてのご連絡はこちらまで。  
絹: まちづくりチョビット推進室
*************************************
絹: 皆さん、こんにちは。
まちづくりチョビット推進室、今日は少し、落ち着いた感じの音楽で始まりました。
いつものように、お相手は公成建設まちづくりチョビット推進室絹川と、当京都三条ラジオカフェのマドンナでおられます、松岡さんです。
松: はい、今日もよろしくお願いいたします。
絹: ちょっと音楽代わると、雰囲気が違いますね。
松: そうですね。これもなかなか・・
絹: はい。
松: いい感じですね。
絹: はい。この番組は、公成建設の協力でお送り致します。
さて、今日のテーマ、で有りますが、今日はゲストがおられません。
久しぶりに、私と松岡さんの二人で掛け合いをやらしていただきます。
えー「堀川水辺環境整備への助走・・・1991年から」と題して、今日はお送りしたいと思います。
皆さん、「堀川」ってご存じでしょうか?
堀川通り、一条戻り橋の辺りから、二条城の御池通の辺りまでですねぇ。
堀川が地表に現れているとこ・・・それ以外の堀川はもう「暗渠」と言いまして、蓋をされてしまってます。
そのことについて、今日はお喋りをしたいんですが・・・
実はですねぇ、長〜いストーリーが、この背後には隠れています。
堀川の水辺環境整備と言う構想が、数年前に立ち上げられまして、今年、第一期の工事が出ております。
松岡さん、堀川って、現在どういう状況になっているかご存じですか?
松: そうですね・・・二条城の脇に・・まぁ、川の跡?があるのかなぁ・・・って言うそのような気がするんですが・・・
絹: はい。
松: どうでしょうか?
絹: はい。
松: 覗いてみたことが無いですねぇ。
絹: そうですね。
松: はぁい。
絹: 堀川通りを車で走ってる方には、堀川は見えない仕組みになっています。
車道よりも低いところに堀川、有りますからね。
松: えぇ。そうですね。
絹: はい。
これ・・ラジオの皆さんには見てもらえませんけども、堀川の現状の写真が有ります。
松: あっ、これが現状なんですか。
絹: はい。
松: はい。石垣があって・・
絹: はい。
石垣の下・・・そうですね、車道から3メートルぐらい下でしょうかね?
そこに、コンクリートで固められた川底が有って・・
松: これ、結構幅広いですねぇ。
絹: そうですね。
テニスコート位有るかな?幅が・・
その真ん中に、幅70センチ位の溝が有りまして、そこを普段は水がチョロチョロと流れてます。
松: それが、堀川の名残・・
絹: はい。
で、これなんですけども・・地元の子供とかは、ここで良くキャッチボールしたり、遊んだりしてますけれども、よく知ってまして、雨が降りますとね、「ドドドドドッ」と上(京都では北のことを“カミ”と言います)の方から水が増えてくるんですよ。
松: あー、そうなんですか。
絹: はい。
大きな雨なんかが降りますと、水深2メートルとか位まで、ダァーって水が流れます。
ですから、近所の子達はそういうのが来る前に、サァーッと上に上がっちゃいますけれども・・
松: えぇ。
絹: 皆さん、ちょっとショッキングかもしれませんけれども・・・
その水はですね、実は、素敵に素晴らしい清流って言う訳じゃ無くてですね・・都市下水・・雨水と下水ですね・・のオーバーフローしたものが流れてくるんです。
ですから、そういう堀川に水がどんどん流れているところをよーく目をこらして見て頂きますと・・・尾籠な話ですいません。
人糞の固形物や・・ですね、それからトイレットペーパーのとろけた様な奴・・・が、よく目をこらすと、見えるかもしれません。
二条城という様な・・・ね、京都を代表するような場所・・その側を流れる堀川・・・
一条戻り橋と言って、歴史のエピソードが語られるような場所、そういうところを結ぶところにある堀川が、実はそういう状況なんです。
松: それ、現状なんですか?
絹: 現状なんです。
で、あんまり皆さん、良くご存じないんですね。
松: はい。
絹: で、ですねぇ、さぁ・・・そこから話は始まるんですけれども。
じゃぁどうしましょ。
私は地元の建設屋ですので、地元の建設屋達が、それのことに対して、どういう動きをしてきたのか、どういう思いでいたのか、と言う事を今からタイムスリップしまして、1991年に戻って、お話を始めます。
松: はい。今から14年前・・・
絹: はい。
松: はい。
絹: その頃ですね・・・と言いますか、今もそうなんですけども、構造改革のまっただ中と言われる、我が建設業界。
まちづくりへの係わりを、我々は・・地元の建設屋達はどういう風にしていったのか?って言うのを、ちょっとこの十何年かのことを整理してお喋りをしたいと思います。
地元の建設屋って言うのは、公共工事の中の僅かの地元枠に群がって、それを奪い合うだけで良いのだろうか・・・
地元の人々がホントに望むインフラ整備に、もっと参画して行くべきではないのだろうかと・・・
そのような、見果てぬ夢を、熱く静かに語る先輩達がおられました。
まぁ、しかしながら、「土建屋風情が!」とか「建設屋はだまって、良い仕事をすれば良いのだ」と言う、当時の空気が有りましたし・・・まぁ、今もあるかもしれません。大分マシにはなってると思いますが。
それにもかかわらず、ドンキホーテのように突き進む先輩方がおられました。
その記憶から、お話を始めます。

1991年1月1日。
社団法人 京都府建設業協会の広報誌、って言うのがありまして、オープンフォーラムって言う愛称が付いてます。
そこで特集号を作りました。
「京都市民が考えた町と緑と水の再生」
で、副題は「二条城プラッツ構想」と付いてますが・・これを特集しました。
市民からのまちづくり提案を行政に届ける活動を初めて開始した、という・・・我々にとっては、ちょっとエポックメーキングな出来事だったですけども・・・
市役所の専門家と勉強会を立ち上げるなど、当時の業界としては、ちょっと変わった形活動だったんです。

まず、エピソード1。
二条城の近くに実家があります、芳村大輔さんと言う大学生がおられました。
芳村大輔さんの卒業論文に目をとめました、1991年当時の立花宏一さんと言う・・・これは元の我々の協会の広報委員長をされていた方です。今は・・松岡さん、四条烏丸下ルに、古今・・
松: COCON KARASUMA(古今烏丸)
絹: 古今烏丸。その中に、ちょっとこだわった映画館が出来ています。
京都シネマ。
松: はい。
絹: そこの仕事をされてまして、そこの代表取締役会長をされています、立花さん。
立花さんが、その論文のすばらしさに目をとめられまして、「これはあまりに・・机の引き出しにしまい込んでしまうには、あまりに惜しい。広く市民の人に知ってもらいたい。行政にも知ってもらいたい。」言う思いを発せられまして、我々のオープンフォーラムに特集記事となりました。
1991年当時は、今ほど「まちづくり」と言う言葉が市民権を得ているわけではありませんでした。
10年・・今もう・・十・・四年・・後?
もう大分経ってますね。
今でもですね。「本当の発注者は、誰なんだ?」
本当の発注者=納税者:tax payer=地域住民+企業市民、で有るよ、と言うような認識は、まだまだ浸透の途中の様な気がします。
ですから、建設業協会のですね、広報誌の特集記事が地元の一学生の発想から生まれたことは、非常に珍しい現象でした。
松: うーん。
絹: しかも、立花宏一広報委員長・・・当時はですね・・それだけではあきたらずに、この構想を市役所に持ち込みました。
で、交通局のある部局と、「二条城プラッツ構想」の勉強会を開催する事までこぎ着けたんです。

さて、ここで、「二条城プラッツ構想」って何だ?と言う説明に入ります。
「プラッツ」って言うのは、「広場」の事だと思って下さい。
芳村大輔さんは、二条城の側で育ったんです。
実家はね、堀川の東側に位置しておりました。
芳村石材店って言うところの、息子さんだったんですね。
松: はぁー
絹: 今もありますけども。
松: そうなんですか。
絹: はい。
松: はい。
絹: で、二条城へ行こうと思うと、まず「堀川」を渡って、次に自動車の川とも言えます「堀川通り」を渡って、最後に「バスプール」越えて・・・あの、バスの駐車場有りましたよね・・行かなきゃなりません。
かつて堀川が、水運に重要な役割を果たしていた頃・・・これは江戸時代の堀川の川幅は、十数メートル有ったそうです。
松: そうなんですか。
絹: はい。
松: そんな時代があったんですね。
絹: はい。
堀川と二条城の間は、もっと今よりも有機的に結びついていて・・・
松: はい。
絹: 人と資材の集まる広場として機能していたのじゃないかなぁ・・言うのが、芳村大輔さんの考えだったんです。
松: はい。
絹: というのは、彼の実家は代々二条城の側で石材商を営んでこられましたんで、「水運の機能を堀川が果たしていたに違いない」という実感をもたれていたんですね。
松: 堀川は生きていた、と・・・
絹: はい。
松: ・・言う、そういう時代なんですね。
絹: はい。
堀川って言うのは、交通量かなりありますでしょう?
松: えぇ、えぇ。
絹: 上から・・ビルの上から見たりするとですね、まさに「自動車の川」だ、と言う風に感じられますよね。
松: 現代の川は自動車の川。
絹: はい。
松: うぅん。
絹: それで、彼の卒業論文は「バスプールを地下に降ろして、地上部分を堀川の歴史を思い起こせるような、水辺公園的な広場にしよう」と言う、そういう論文だったんです。
松: ほー。大学生が、そういう論文書かれたんですか。
絹: そうなんです。
その論文に立花宏一さんって言う、今、古今烏丸京都シネマの映画館の仕事をされている・・その当時は地元の建設屋の社長さんですね。我々の大先輩です・・・が、その論文に目をとめられました。
さっきもお話しましたように、堀川は現在、ひとたび激しい雨が降りますと、下水の本管がオーバーフローいたします。
堀川の水位は、見ている間にどんどん上がっていきます。
つまり堀川は、今や下水道の補欠選手の様なものであります。
さっきも言いましたように、雨の後、堀川をよく観察していただければ、尾籠な話ではありますが、トイレットペーパーの残骸が観察できると言う、ちょっとショッキングな事実をご存じの市民の方は、ご近所の方以外少ないはずですね。
ここで、お堀の・・今度はお堀ですね・・二条城の。
松: はい。
絹: 二条城のお堀の水の汚さについて、言及しておきます。
松: お堀の水の汚さ?
絹: はい。
松: 汚いんですかぁ?
絹: はい。
松: 残念ですねぇ。
絹: 水源がねぇ、井戸水らしいんですよ。
松: へぇー。
絹: 昔の事を覚えておられる、ご近所の年配の方にインタビューをしますとね、「水量、水質ともに、かつては比べものにならん」と。
で、この「二条城プラッツ構想」という中には・・芳村さんの論文ですね・・「堀川と二条城のお堀と西高瀬川を結ぶ事で、お堀の水の水質浄化もやろうよ」という提案がなされていました。
新聞紙上でですね、その後、京都市も同じように堀川と西高瀬川の水辺再生を報道されるように・・・するよ、と言う事を宣言しだしてきます。
これは1997年の3月3日の京都新聞に報じられましたので、この芳村さん・・大輔さんはですね、「二条城プラッツ構想」はそれに先立つこと6年前に、既に同様の構想を発信したわけですね。
さて、話は飛びます。
そういう、芳村さんという一大学生の・・・この方オレゴン大学の大学生だったんですけども、論文を京都市に向けて発信して、「おもしろいね。」と興味を持たれました。
ところが、これが盛り上がることなく、何時しか立ち消えていきます・・・
松: あっ、そうなんですか・・
絹: はい。
松: はい、はい。
絹: あの、やはり、建設屋風情が「まちづくり」「都市計画」のことに、口出ししたり、市民が口出ししたりするのは、まだそんなに市民権を得ていない時代ですから・・
松: 構想のまま・・
絹: はい。
松: まぁ、眠っていた・・
絹: はい。
松: と言うことですか。
絹: はい。そして、時計の針は1996年に飛びます。
松: 5年経ちました。
絹: はい。
松: はい。
絹: 1996年の夏、芳村大輔さんの指導教官であった、ロン・ロビンジャー先生・・オレゴン大学のですね・・その先生とそのゼミの学生達が、6週間に渡って京都に来ました。
で、堀川周辺を調査致しまして、構想をまとめられました。
芳村大輔さんって先輩の構想を、さらに発展したものを、「堀川の修復計画」としてまとめられました。
松: それは、それだけ芳村さんの構想が素晴らしかったから、そのオレゴン大学の指導教官が、そうやって後輩を引き連れて来られたわけですか?
絹: そうですね。
で、やっぱり京都・・と言うことに、そのロン・ロビンジャー先生もこだわられたわけです。
松: えぇえぇ。
絹: 出来ることならば、自分達の計画を市民の有志に聞いてもらいたい、と・・
松: えぇ。
絹: 言うことで、その仲立ちを取られましたのも、先ほどの立花さんであり、我々建設業協会の有志の者達だったんですね。
松: あぁ、そうですか。
絹: で、市役所の有志・・それから市民有志が集まってもらいまして、会場を借りて、そのオレゴン大学の「堀川の修復計画」って言うのを96年の夏に・・勉強会をしました。
その当時ですねぇ、その構想には既に第二疎水からの・・・取水、水を取ってですね、水道橋って、あのローマの水道橋みたいな感じで、鴨川をまたいで、紫明通りへ持って来て、堀川通りへ導くルートが、既に提案をされてました。

はい、それでは、96年から第三段階に移ります。
松: その・・・すいません。
絹: はい。
松: その時は、何も実行には移されなかったんですか?
提案をされただけで・・・
絹: そうです。
あの・・提案をして「こういう事をすべきだ」と、言う旗揚げをされたに留まりました。
松: あっ、そうなんですか。
そんな素晴らしい案をいただきながら・・
絹: はい。
松: 京都市は、何も動かなかったと・・・言うことでしょうか?行政は・・・
絹: とも言えますけれども・・
松: はい。
絹: 種が撒かれたと・・・
松: あー。
絹: これから、京都市の中でも熟成が始まると、言うことでしょうね。
松: 種が撒かれた。
絹: はい。
松: はい。
絹: 先ほど申し上げました様に、新聞記事で・・1997年の3月3日の新聞記事に・・京都新聞なんかにですね、「水辺再生を行う」と言うような、記事が載ってますので・・
松: えぇ、えぇ。
絹: これですね。
「京都市は検討を始めたよ」と・・
ですから、「古都の水辺 再生本格化。京都府は西高瀬川“復活”市と連携するよ。」と言うような・・こういう新聞記事として現れていると・・・
で、いみじくも97年3月の京都新聞ですから、96年の夏にロン・ロビンジャー研究室が構想を発表したわけですよね。
それを受けて、京都市はこういうものを暖めて、形にし始めた、と言うことでしょうね。
ですから、京都市、京都府が黙ってた訳じゃなくって、どうも京都市も同様の事を考えていたと・・・のか、これが影響を与えたのか、どちらかは分かりません。

さて、その次のステップスリーに移ります。
これからは、我々の・・・建設業協会の人たちの動きなんですけれども・・・
地元の建設屋を中心とするメンバーで、「堀川座」という、曖昧な位置づけではありましたけれども、堀川に水を取り戻すことに興味を持つ「勝手連」と言う集まり・・・
「勝手連」を立ち上げようと言う動きがありました。
「会議費とかね、会場費は建設業協会で負担しようやないか・・」
「まぁ、どんなことが出来るんやろか。実験的な事してみよう」と言う集まりです。
メンバーは、建設業協会・・地元の建設屋の関係者、大学関係の研究者、青年会議所の人達・・それから、勿論市役所の行政マン・・京都府の行政マン・・これも有志です。
で、地元のライオンズクラブの方、地元の住民福祉協議会のメンバー、その他ボランティア。
でね、堀川の歴史を調べて発表してくれる人だとか、それから、水源・・かつての堀川の水源というのは何処だったのだとか、歴史的な事を色々調べて下さる方が沢山おられました。
ついにはですね、地元西陣小学校のイベントに合流しまして、堀川通り上立売上ルのグリーンベルトでね、仮設のせせらぎを設けようと・・・12トンの水を電動ポンプで送り出して、全長67メートルの仮設の堀川を作製するという、イベントに発展するんです。
ここに新聞記事があります。
『ささ舟浮かべて子供らが遊ぶ』
『「西陣わっしょい」で堀川通りに人工河川』と・・・

これですね。
1998年、平成10年。
グリーンベルトで仮設のせせらぎを設置、12トンの水を・・さっき12tで間違いないですね・・電動ポンプで送り出し、全長67メートルの河川、「仮設の堀川」を作製したイベントの翌年には、「堀川と堀川通りを美しくする会」の15周年の記念行事に参加。
『堀川に水を』と言う副題のイベントのオープニングとして、堀川の川底・・さっきありましたね。
川底に・・
松: 子供達が遊んで・・
絹: はい。
松: いる風景が・・
絹: はい。
そこで、同じように流水式を行いましたんですけども、残念ながら雨にたたられてしまった(笑)
松: あっはっ(笑)そうなんですか。
絹: はい。
松: で、そうすると、どうなるんですか?
絹: いや、まぁ・・やりましたけどね。
松: あぁ、はいはい。
絹: で、2000年に入ります。
2000年には堀川・・・2000年の5月27日、「堀川灯ろう祭り」に参加する事になります。
ペットボトル2000本をみんなで集めて、手でチョキチョキ切って・・
松: はい。
絹: 手作りの灯籠を2000基、堀川の川底に並べました。
松: わぁ。すごいですねぇ。
絹: はい。
松: みんなの協力が無いと出来ないですよねぇ。
絹: はい。あの・・ペットボトル、ハサミでねぇ、幾つも切りますとね、手が赤剥けになって痛くなるんですよね。(笑)
松: 結構、固いですねぇ、そうしようと思うと。
絹: はい。
光のせせらぎと言うものをね・・堀川に水がホントに戻ってくるまでに、光のせせらぎを演出しよう、と言う地元の方々との・・なんて言うんですか、コラボレーションって言ったら変ですけども・・
松: えぇ、えぇ、えぇ。
絹: そういうものを、やりました。
その時のチラシが・・無いかな?
有りましたね。
松: はい。
絹: 主催は何処になってますか・・「堀川と堀川通りを美しくする会」。
「堀川ライオンズクラブ」と言うようなね。
それから、後援は京都市景観まちづくりセンター、京都市教育委員会、京都府警、京都新聞、赤十字・・・色々です。
だけれども、まだ、建設業協会というのは、表に出てないんですね。
黒子なんですね。
何故か・・と言うと、我々がこういう事のお手伝いをしてるというのが表に出ると、イベントに水を差すんじゃないかという、気遣いが・・我々の遠慮が、我々の方にも有ったんですよね。
我々がこういう事の・・まちづくりだとか、都市計画だとか言うことの、お仕事の計画のボランティアの中に・・ずっと実は地道に入ってるんですけれども、やっぱり石が飛んでくるんです。
「我田引水だろ、どうせ」
「仕事が欲しいんでしょ?だからやっているんでしょ?」
・・と。
「そうです」って言うんです、僕。
「当たり前じゃないですか。地元の仕事を地元の建設会社がやるのは、当たり前じゃないですか。勿論仕事をやりたいが為にやってますよ。」
だけど、地元の方が本当の喜んでもらえる様な仕事を作る、と言うお手伝いするんだったら、これは・・そういう仕事が出来たら、地元の建設屋冥利ですよね。
って言うのが、なかなか分かってもらうのに時間がかかっておりますが、大分でも、皆さんの・・市民の意識が変わってこられて・・・
実は今年もね、「5月の21日に手伝いに来いよ」って言ってもらったんですよ。
松: はい。
何をされるんですか?
絹: あの・・もう大分2000本から増えてます。
数千本に渡る灯籠を、やっぱり堀川の底に敷き並べて・・
松: えぇ。
絹: 『堀川桜祭り』と言うイベントに協力いたします。
この頃は、ライブ演奏があったり、それから灯籠を堀川の歩道沿いにズーッと並べて、そこに近隣の小学校や幼稚園の子達が書いた絵をね、留めて・・・どう言うんですか・・飾り灯籠みたいなのにして、それを皆さん子供達が見に来られる、と言うようなイベントに発展しています。
で、そういう我々の先輩、それからそれが後輩で有る我々に引き継がれまして、地元の方々との“まちづくり”ですね。
こういう「堀川に清流を取り戻したいなぁ」と言う動きがですね、市民に浸透し、行政に浸透し、実際に地元の人達が、どんな堀川の清流が欲しいのか・・・
「じゃぁ、みんなで考えましょう!」と言うムーブメントまで起こっちゃったんですよ。
それで、本来その、公共工事の設計なんて言うのは、専門家の仕事ですよね。
でも、地元の何十人、何百人と言う人達が、公募で集められましてね・・・
「自分達の近くのせせらぎには、こういう設計を採り入れてもらえんだろうか?」と言う、ワークショップと言うものを地道に立ち上げた歴史が有ります。
そのワークショップについてはまた次回詳しく・・今度は、そのワークショップの立役者達を招待して語ってもらおうかなぁ、って思ってますけども。

さてそろそろ、今日のエンディングに近づいてまいりました。
お話をまとめに入らなければなりません。
今日、どうでした?
松岡さんがお聞きになって、分かりにくかったですかね?
松: いいえ。
えーっとですねぇ、私の感じたのは、「ホントに水を流すって、やっぱり大変なんだなぁ」と言うことと、最初に絹川さんが、その・・「種を撒いたんだ」とおっしゃった意味が、ホントに後になってよく判りました。
絹: はい。
松: それが、芽が出つつあるんだなぁと言う・・ホントに嬉しいなぁ、と言う風に感じました。
絹: ホントにねぇ、芽が出つつありましてね。
松: えぇ。
絹: 今年その第一弾の工事が、出ております。
段々に出来上がってくると思いますので、堀川の廻りに、是非皆さん注目して頂きたいと思います。
あの、公共工事って言うのは、意味なく道路を掘り返してるだけじゃ無いんだと、そういう市民の人達の思いも入った公共工事も中にはあるよ・・・
で、そういう工事がね、数多く出来ると良いなぁ、と私は思っとります。
で、我々はですねぇ、建設の専門家として、これからもそういう新しい形の工事をですねぇ、行政と市民と共に考えていきたいなぁ、と思ってますし探って行きたいなぁと思ってます。
こういうレポートをね、今後も続けて、堀川再生の施工へ、胸を張って参画できるように活動をしていきたいなぁって思ってます。
ですので、地元にはそういう、変わった連中が、施工や達がおるんだよ、っていうのを皆さんにもちょっと知って頂きたいなぁ・・ご支援頂きたいなぁ、と思います。
と言うことで、はい。
今日は、「堀川の水辺再生の裏側」と言うか・・ちょっとタイムマシンに乗ってみました。
松: そうですね。私にはこう、美しい堀川の、なんか流れが目に浮かんで来ました。
絹: はい。
松: そうなればいいなぁ、と思います。
絹: はい。もう何年かすると実現します。
松: そうですか、楽しみです。
絹: はい。次回又詳しく。
松: それでは皆さん、さようなら。
絹: さよなら。
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